KENJI's Blog

23歳。高校教員。サッカーコーチ。

因果応報

人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということ。

 

▽もと仏教語。行為の善悪に応じて、その報いがあること。現在では悪いほうに用いられることが多い。「因」は因縁の意で、原因のこと。「果」は果報の意で、原因によって生じた結果や報いのこと。

 

今日は富山へ。

 

怒涛の25分×8本トレマ…

 

アップ中のゲームに向かっていない雰囲気に、スタッフは我慢我慢。

 

事が起きてからのフィードバックという選択を。

 

開始ワンプレー目で失点。

 

やはり…。

 

選手は指導者の鏡である。

 

そこに写ったのは我々の日頃のあり方。

 

しかと受け止めて、アプローチを試行錯誤していく。

 

現実を受け止める。

 

そこで起きている事は、今まで関わって来た大人と環境の総決算である。

 

子供に罪はない

 

とよく師匠は言うもんだけど、最近は本当にそれを痛感する。

 

自立しなくても、

判断しなくても、

意志がなくても、

生きていけるこの日本社会で、

その類いを求めていくことに、どれほど意味があるのか考えものである。

 

言われた時間に来て、なんだかよく分からないけどバスに揺られて、グランドに着いて、はい試合。

 

自分の将来、家族の将来を背負ってバスに揺られ、グランドに向かう少年が世界にはいるのだろう。

 

覚悟とか自立がなくても生きていける社会。

 

サッカーを求めて、生きてない子に、自分らは求めさせているような気がして。

 

サッカーの魅力によって、選手たちには魅力的な人間になって貰いたい。

 

今いる選手を観察すると…

 

例えば全国大会を目指すことをゴールにした場合、

自力だけでいくのは、困難なので、こちらの求める基準に近づいて貰う必要がある。

 

そうすると、どうしても、無理が働く。

 

このジレンマ。

 

彼らにとってのベストを考えると、

 

目標設定は適切なのかと。

 

全国大会に行く!

 

よりも、行ったことで周りの人はどう思うか、

 

自分にどんな影響があるか、

 

そんな絵を一緒に考えていくべきだなとは思う。