因果応報
人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということ。
▽もと仏教語。行為の善悪に応じて、その報いがあること。現在では悪いほうに用いられることが多い。「因」は因縁の意で、原因のこと。「果」は果報の意で、原因によって生じた結果や報いのこと。
今日は富山へ。
怒涛の25分×8本トレマ…
アップ中のゲームに向かっていない雰囲気に、スタッフは我慢我慢。
事が起きてからのフィードバックという選択を。
開始ワンプレー目で失点。
やはり…。
選手は指導者の鏡である。
そこに写ったのは我々の日頃のあり方。
しかと受け止めて、アプローチを試行錯誤していく。
現実を受け止める。
そこで起きている事は、今まで関わって来た大人と環境の総決算である。
子供に罪はない
とよく師匠は言うもんだけど、最近は本当にそれを痛感する。
自立しなくても、
判断しなくても、
意志がなくても、
生きていけるこの日本社会で、
その類いを求めていくことに、どれほど意味があるのか考えものである。
言われた時間に来て、なんだかよく分からないけどバスに揺られて、グランドに着いて、はい試合。
自分の将来、家族の将来を背負ってバスに揺られ、グランドに向かう少年が世界にはいるのだろう。
覚悟とか自立がなくても生きていける社会。
サッカーを求めて、生きてない子に、自分らは求めさせているような気がして。
サッカーの魅力によって、選手たちには魅力的な人間になって貰いたい。
今いる選手を観察すると…
例えば全国大会を目指すことをゴールにした場合、
自力だけでいくのは、困難なので、こちらの求める基準に近づいて貰う必要がある。
そうすると、どうしても、無理が働く。
このジレンマ。
彼らにとってのベストを考えると、
目標設定は適切なのかと。
全国大会に行く!
よりも、行ったことで周りの人はどう思うか、
自分にどんな影響があるか、
そんな絵を一緒に考えていくべきだなとは思う。