勉強嫌い
「席につけ」
「静かにしろ」
「寝るな起きろ」
もはや使い古された言い回しと言えよう。
おそらく今日も日本中のあちらこちらの学校で発せられているであろう言葉たち。
自分の学生時代を振り返っても、高校ではよく寝ていたし、大学は4年で卒業、教員免許も取ることができたが、可能な限り授業に出ず単位を取ることを考えていたのが正直なところだ。
どうしても授業を受けたくない、つまらないと感じる生徒に対して、なんとか静かにさせる、起こすことに必死になる教員。
双方にとって何の利益もない時間である。
そのエネルギーをもっと有機的に使うことができたら…と考えてしまう。
自分も含めて、「勉強」嫌いになった理由はなんだろう。
ただ、自分は学ぶことは嫌いではない。サッカーやコーチングにまつわる記事や本は毎日読み漁るし、プレーの参考になる映像は何時間も探すし、選手に見せる映像を作るのも苦ではない。
どこかの学校で学んだわけではないが、ゲームを分析する手法、映像編集、練習法も全て自分で、ネットや書籍、人づてに学んできた。
結局、好きなこと・面白いことは何時間やっても、毎日やっても苦ではない。
そこにはゴールがなく、日々深いところを追求しているからでないかと思う。
そこで今、自分が考えることは、学校で学ぶことの意義ってなんだろう。
ということである。
好きでも興味がないことでも、半ばいやいやでもやったことに意味があるのか。
ひょっとしたら、自分が気づいていない点で、意味があるのかもしれない。
反対に自分の意志でやっていないこと、やらされていることに全く意味はなくて、興味や関心の赴くまでに好きなことだけを追求した方が良いのか。
先日NHKの「ドキュメント72時間」という番組で会員制シェアオフィスに通う15か16歳の子が出ていた。
その子は昔から好きなことに没頭してしまうタイプで、決められた時間割に合わせるスタイルが合わず、学校には行かず、毎日ひたすら映像やウェブサイトの作成に励んでいることだった。それらの作品は素晴らしく、感心した。親御さんもそれを応援しているらしい。
何が正解かは分からない。
でも、日々高校生と接する仕事をしていて、学校で働くものとして、そこにどんな価値があるのか、そしてどんな価値を作っていくべきなのかを考えていきたいと思う。