久しぶり
なんとなくブログに書いておきたい事が何点かある。
最近では学校教育を通常通り行うのが難しく、オンライン授業などが展開されている。
そこから転じて、「そもそも質の高い映像コンテンツはもうあるんだから、学校なんていらない」という人がいる。
某サッカー選手は「宿題なんていらない」と言う。
海外でプレーする日本人選手は「13歳に戻れたら学校に行かない」とも。
学校に意味があるかどうかについては自分も考える事ではあるけれど、
最近一番腑に落ちた意見で、自分の考えに近いのは
「必要な人もいれば、必要でない人もいる。選択肢がある事が大事」
である。
人間にも色んなモチベーションや性格の人がいて、
目指すもの、なりたい自分が明確な人にとって、学校に拘束される時間とか、無駄な課題というのは足かせでしかないというのは事実かもしれない。
自分で時間の管理ができて、効率よく学べる人にとって、自分の好きな時間に、好きな授業を受けれることは素晴らしい。
残りの時間で自分の好きな事に没頭できるから。
で、もう一つ念頭に置かないといけないのは、
この世にはとてつもなく無気力であったり、希望がなかったり、モチベーションがなかったり、真面目でも不真面目でもないけど、やりたい事もないって人も沢山いるという事だ。
そんな人にとって、ある種強制的に?与えられるものとか、偶然集まった人間同士のコミュニケーションってのは重要な可能性もあるわけで。あくまで、可能性。
公教育は「画一的」と批判されるけど、他の国からみたらある意味全員をある程度のところまで持ってきている日本のシステムが評価されてたりする実情もあるみたいで。
一人の思想で「学校なんていらん!」みたいなのは、極端すぎるかなと思っている。
物事にはプラスもマイナスもあって。
マイナスを指差して、全体を否定するスタンスが最近は嫌い。
なんでも、「場合による」が真理かなと。
ただ、時代の進歩で、学校に通わなくても良いという選択肢が生まれたことは素晴らしいことで。
みんなが自分の良いと思うものを選択できる社会はベストかなと。
関連して、この前あるコーチが、「今の世の中、強制的に何かに取り組ませる事は難しい。本人がやりたい事、やりたいと思わせる事の方法を考えなくては」の主旨の話をしてた一方で、
「いま、アプローチしないと将来的に必ず障害になるであろう事には、ある程度やらせる」との事を言っていた。
自分の中では、これが何か指導に携わる人の責任かと思った。
嫌なこととか、苦手なことをやらせない、指摘しない事って、凄く楽。
指摘したら反発するかもしれない、場合によってはクレームが来るかもしれない。けど、明らかにそこを直せば80になれる。でも直さないと70にしかならないと分かっていて、アプローチしないのは、責任から逃げてると感じて。
そういう「優しい」コーチが好かれる時代かもしれないけど、文字通りダメなこととか、嫌なことから目を逸らさず「向き合える」人になりたい。
「向き合い方」は大事だけど。
これまで失敗もしてるし。
あと、その人が高校時代の恩師の言葉で忘れられないのは「頑張っても報われない事はある」だそうた。
頑張っても報われない事もあると理解したうえで、挑むのと、そうでない場合の覚悟の重さの違い。
入学後すぐに言われたらしいけど、深いよな。
夢は叶わないかもしれない
努力は無駄になるかもしれない
と心に秘めた上で、やる努力って、一味違うよなー。
自分なんかまだまだ薄っぺらいと思わされる。