悶々
五輪の中止も決まる。
都内では感染が拡大してるとの情報あり。
そんな中で学校は再開方向で。
満員電車は今日も走る。
牛肉の商品券を配ろうとする。
こういうイレギュラーな時に見えるもの。
Jリーグの今回の緊急事態に対する対応を見受けながら、感心する一方で…
結局は人で。その人の能力で。育ちで。
「学校」という枠組みでの「評価」と
「現実」の世界で求められる「行動」とのギャップは…
学校における「真面目」という言葉の意味は…
本来の意味とは違うんだろうけど、学校内で使われる「真面目」という評価は嫌い。
「一生懸命」も同様で。
「誠心誠意取り組んでます」「最優先であたっています」「最善を尽くしています」とかはどうでも良くて…
大事なのは「方針」とそれに対する「アクション」とその「評価」では。
真面目にやってるか、一生懸命かどうかは、聞こえは良いけど言い訳にもなる。
(自分もそこに逃げるときはある。)
方向性
行動
評価
あるのはそれだけ。次の行動に向かう為の評価。
あらゆるものを「効果」の視点でドライに「評価」する文化がないのかな。
という事を考える一日。
今日
今日は考査期間。午前で授業も終了。
さて、世界情勢は困窮を極めている。
留学中の弟も予定より3カ月早く帰国予定。
が、入国制限などもあり、まど一難ありそう。
本人は無念そうである。
はたして、自分は毎週その道のプロの仕事にフォーカスを当てるあの番組が好きなのだが、今週は靴磨き職人の方だった。
靴磨きといえば駅前で数百円のイメージだが、その人は南青山で今は5千円以上の値段で営業する。
そのブランド作りへの執念も素晴らしかったが、何より仕事に対する心意気がカッコ良い。
靴を磨いて、その人の人生を輝かせる、
との言葉のもと、就活、転職、入籍など人生の節目を前にしたお客さんが通う。
靴磨きで人を幸せにしたいと語るその人の姿は凛としている。
昨今ではネットでも質の高い学校の授業が受けられる。
AIなどの発達も著しい中で、先日ある人は、
今後、やる気のない人の仕事はなくなる
とハッキリ言っていた。
つまり、やらされ仕事のクオリティでは、AIにとって変わられてしまうと。
今後はより、その仕事が好きだ、とか、拘りとか、感情が動く事が大事で、感情が宿らない仕事は奪われるとのこと。
それを聞いて妙に納得した。
自分は仕事にどんな価値を見出していこうか。
内省
刻一刻と情勢は変わっていて、いまだフットボールの再開の日も定まらず。
時間がある分、スタッフ同士で今シーズンのプランを練ったりする事も多い。
これは多くのチームでそうかもしれない。
ただ、やはり最近は内省が多くて、2019年の自分がどうだったか、今シーズンにどう繋がるかの部分を良く考えていて、自分の中では、
①サッカーの理解度・リテラシーが上がって、コミュニケーションの質が上がった
②意図的にゲームを行うという意思が生まれた
という反面
①理解度×能力が低い選手の居場所が無くなった
②失敗や無知をさらけ出せない殺伐とした空気感が生まれた
という負の側面も生んだように思う。
コーチングには「push(押し出す)型」と「pull(引き出す)型」があって、それぞれにメリットデメリットはあるのだけど、2019シーズンでは圧倒的にpushが多かったと思う。
過去のブログも読みながら…
なぜ、自分がpushに寄って行ったかを考えると、新しい環境の中で、周りの選手やスタッフに対して、なんとか自分自身の能力・存在感を示したいという気持ちが強かったからだと思う。
そしてようやく一年経って、いまは自分に余裕があって、pull型の割合を増やして行きたいなあと考えている自分がいる。
そしてなぜ、こういう感情になったかと言うと、ある程度の信頼があるからだと思う。
判断の基準とか、捉え方のフレームは形成されたので、あとはこちらはよく観察して、入り込みすぎてる時には、俯瞰させるように問いかけたい。
勝ちたいとか上手くなりたいという感情を強制するのではなく、そこに訴えかけたいと思う。
最近の自分のノートに「どんな指導者になりたいか」を書いたページがある。
・2つのタイプについて
①子供にサッカーを教える
②プロとして自分のサッカーをつくる(表現する)
→自分は①でありたい
→「ユース育成の“エキスパート”」
※スペシャリストとエキスパートの違い
前者は単に専門家、特化した人。
後者は前者の中でも更に秀でた人、その分野の熟練者の事を指す
Kさん・Wさん・Iさん
→人の感情とか気持ちが分かる人
Oさん・Sさん・Yさん・Rさん
→ロジカルで、拘りがある。ぱっと見でオーラがある
・自分の軸
「選手を熱狂させる指導者」
※熱狂…狂うほど夢中なさま
・選手を熱狂させる指導者とは
①ロジカルにサッカーを捉えて【捉える】
②最も適した方法で伝えられる【伝える】
続く…
ここ最近
3月の頭より学校は休校となり、生徒はお休み。
職員は出勤して事務仕事を一応している。
先週末、友人数名が東京より来たり。
石川の北部、輪島・七尾を旅する中で、食べ物温泉を満喫し、また石川の違う魅力を知る。
何より、多分これを一人で行ってもまた違うわけで。
本当に気兼ねなく、本音で時間を共にできる友に感謝。
銀行員、自動車メーカー、春から教員と全く普段の生活は違えど、仕事の話、プライベートの話が聞けて面白い。
ありきたりだけど、みんな頑張ってるんだなあと。
さて、サッカーの活動もお休みしてるわけだけど、再開に向けて様々な準備。
特に今年はトレーニングメソッド(方法論)の部分で、新たなチャレンジをしたいと企んでいる。
色々な文献を読み漁っている。
あとは、なんか一つ勉強を、趣味としてやりたいなあと思って、ドイツ語を始める。
義務感がある訳ではなく、読み物として、やっている。いつまで続くかはお楽しみで。
2020年は、ポップステップジャンプで言うと、「ステップ」になる。
2021年に飛べるように、その為の2020年にしたい。
他人(ひと)は変えられない
最近ぼんやり思ってる事が表題で。
少し前に一世を風靡した受験漫画の一節にて、
「人の気持ちを変えようとするなんて、地球を指で押すようなもんだ。表面上のどうでも良いことは他人から影響を受けても、大切な部分は自分の考え方に似てる部分を選んでるだけ」
という言葉が腑に落ちて。
人を変えてやろう、なんておこがましくて。
変わるか変わらないかは本人で、その手前位までせいぜい周りにいる人の出来ることで。
馬を水飲み場に連れてくまでが仕事。
飲むか飲まないかは馬の判断などとはよく言ったもので。
首根っこ掴んで無理やり飲まそうとするのはナンセンスで(その場は飲んだとしても)。
そんな事を考える最近。
確実にこの2週間のオフの後、自分のアプローチは変わる。とても楽しみ。
リスタート
1週間の休暇を貰い、欧州蹴球旅に出かけるはずだったが、流行りの病の影響を鑑み、キャンセル。
学校の修学旅行や部活動遠征は中止、学校も休校となっている中で中々気持ちの踏ん切りがつかず。
もしもの事を考え、国内に留まる決断をした。
無念。いつかまた必ず。
結局、1週間奈良に帰る。
関西のJクラブや、JFLのクラブの練習を見学。
チャンピオンズリーグのノックアウトステージを全試合観る。
本当なら生で観るはずだったゲームは、至高の一戦で。
さて、色々な流行りすたりはあるけれど、そんな中で、良いゲーム、良い練習、良い指導って何?を考える。
色々な練習を見ていて、感じる事はあるけれど漠然と感じる「良い」を定義する事の大切さ。
定義なしの良し悪しの議論に意味はなくて。
自分の考える「良い」は、
まずチームとして明確なスタイル・哲学があり、
それを表現する為の言葉があり、練習がある。
試合を見て、「こういう練習してそうだな」とか
練習を見て、「こんな試合をしそうだな」と想像できるチーム・指導者は「良い」と思う。
また自分に還元するとしたら、まずは明確にこういう試合を見せたい!その為にこんなプレーをして欲しい!こういう選手をピッチに送り出す!
という部分を明確にしていく事。
そしてそれらをチームに関わる全ての人が共有していく事が必要だと考えている。
必要なプレーが明確であればあるほど、練習へのモチベーションは上がり、変に他人と比較する事も減ると思う。
誰が見ても、あっこのチームでこの役割を果たす為にこの選手を使うんだね。と感じれるようなチームを作っていきたいし、その為にもっと練習に工夫を凝らしたい。
そうやって考えるとまだまだ出来る事しかないなと。
ここから楽しみ。
立ち返るところ
最近よく考えるのは、自分の使命ってなんだろうという事。
自分のできること。その中で誰かの為になることってなんなんだろうか。
という事。
何かのせいにするのは簡単で。
環境を変えるのは簡単で。
自分を変えるのは難しい。
石川に来てからはや一年。
長期的な目線を持ちながら、そこに向けた歩みを進めていきたい。