KENJI's Blog

23歳。高校教員。サッカーコーチ。

悶々

五輪の中止も決まる。

 

都内では感染が拡大してるとの情報あり。

そんな中で学校は再開方向で。

満員電車は今日も走る。

牛肉の商品券を配ろうとする。

 

こういうイレギュラーな時に見えるもの。

 

 

Jリーグの今回の緊急事態に対する対応を見受けながら、感心する一方で…

 

結局は人で。その人の能力で。育ちで。

 

「学校」という枠組みでの「評価」と

「現実」の世界で求められる「行動」とのギャップは…

 

学校における「真面目」という言葉の意味は…

 

本来の意味とは違うんだろうけど、学校内で使われる「真面目」という評価は嫌い。

 

「一生懸命」も同様で。

 

「誠心誠意取り組んでます」「最優先であたっています」「最善を尽くしています」とかはどうでも良くて…

 

大事なのは「方針」とそれに対する「アクション」とその「評価」では。

 

真面目にやってるか、一生懸命かどうかは、聞こえは良いけど言い訳にもなる。

 

(自分もそこに逃げるときはある。)

 

方向性

行動

評価

 

あるのはそれだけ。次の行動に向かう為の評価。

 

あらゆるものを「効果」の視点でドライに「評価」する文化がないのかな。

 

という事を考える一日。

 

 

今日

今日は考査期間。午前で授業も終了。

 

さて、世界情勢は困窮を極めている。

 

留学中の弟も予定より3カ月早く帰国予定。

が、入国制限などもあり、まど一難ありそう。

本人は無念そうである。

 

はたして、自分は毎週その道のプロの仕事にフォーカスを当てるあの番組が好きなのだが、今週は靴磨き職人の方だった。

 

靴磨きといえば駅前で数百円のイメージだが、その人は南青山で今は5千円以上の値段で営業する。

 

そのブランド作りへの執念も素晴らしかったが、何より仕事に対する心意気がカッコ良い。

 

靴を磨いて、その人の人生を輝かせる、

との言葉のもと、就活、転職、入籍など人生の節目を前にしたお客さんが通う。

 

靴磨きで人を幸せにしたいと語るその人の姿は凛としている。

 

昨今ではネットでも質の高い学校の授業が受けられる。

 

AIなどの発達も著しい中で、先日ある人は、

今後、やる気のない人の仕事はなくなる

とハッキリ言っていた。

 

つまり、やらされ仕事のクオリティでは、AIにとって変わられてしまうと。

 

今後はより、その仕事が好きだ、とか、拘りとか、感情が動く事が大事で、感情が宿らない仕事は奪われるとのこと。

 

それを聞いて妙に納得した。

 

自分は仕事にどんな価値を見出していこうか。

内省

刻一刻と情勢は変わっていて、いまだフットボールの再開の日も定まらず。

 

時間がある分、スタッフ同士で今シーズンのプランを練ったりする事も多い。

これは多くのチームでそうかもしれない。

 

ただ、やはり最近は内省が多くて、2019年の自分がどうだったか、今シーズンにどう繋がるかの部分を良く考えていて、自分の中では、

 

①サッカーの理解度・リテラシーが上がって、コミュニケーションの質が上がった

②意図的にゲームを行うという意思が生まれた

 

という反面

 

①理解度×能力が低い選手の居場所が無くなった

②失敗や無知をさらけ出せない殺伐とした空気感が生まれた

 

という負の側面も生んだように思う。

 

コーチングには「push(押し出す)型」と「pull(引き出す)型」があって、それぞれにメリットデメリットはあるのだけど、2019シーズンでは圧倒的にpushが多かったと思う。

 

過去のブログも読みながら…

なぜ、自分がpushに寄って行ったかを考えると、新しい環境の中で、周りの選手やスタッフに対して、なんとか自分自身の能力・存在感を示したいという気持ちが強かったからだと思う。

 

 

そしてようやく一年経って、いまは自分に余裕があって、pull型の割合を増やして行きたいなあと考えている自分がいる。

 

 

そしてなぜ、こういう感情になったかと言うと、ある程度の信頼があるからだと思う。

 

判断の基準とか、捉え方のフレームは形成されたので、あとはこちらはよく観察して、入り込みすぎてる時には、俯瞰させるように問いかけたい。

 

勝ちたいとか上手くなりたいという感情を強制するのではなく、そこに訴えかけたいと思う。

 

 

最近の自分のノートに「どんな指導者になりたいか」を書いたページがある。

 

・2つのタイプについて

①子供にサッカーを教える

②プロとして自分のサッカーをつくる(表現する)

→自分は①でありたい

→「ユース育成の“エキスパート”」

スペシャリストとエキスパートの違い

前者は単に専門家、特化した人。

後者は前者の中でも更に秀でた人、その分野の熟練者の事を指す

 

ロールモデル

Kさん・Wさん・Iさん

→人の感情とか気持ちが分かる人

Oさん・Sさん・Yさん・Rさん

→ロジカルで、拘りがある。ぱっと見でオーラがある

 

・自分の軸

「選手を熱狂させる指導者」

※熱狂…狂うほど夢中なさま

 

・選手を熱狂させる指導者とは

①ロジカルにサッカーを捉えて【捉える】

②最も適した方法で伝えられる【伝える】

 

 

続く…

ここ最近

3月の頭より学校は休校となり、生徒はお休み。

職員は出勤して事務仕事を一応している。

 

先週末、友人数名が東京より来たり。

石川の北部、輪島・七尾を旅する中で、食べ物温泉を満喫し、また石川の違う魅力を知る。

 

何より、多分これを一人で行ってもまた違うわけで。

本当に気兼ねなく、本音で時間を共にできる友に感謝。

 

銀行員、自動車メーカー、春から教員と全く普段の生活は違えど、仕事の話、プライベートの話が聞けて面白い。

ありきたりだけど、みんな頑張ってるんだなあと。

 

さて、サッカーの活動もお休みしてるわけだけど、再開に向けて様々な準備。

 

特に今年はトレーニングメソッド(方法論)の部分で、新たなチャレンジをしたいと企んでいる。

 

色々な文献を読み漁っている。

 

あとは、なんか一つ勉強を、趣味としてやりたいなあと思って、ドイツ語を始める。

 

義務感がある訳ではなく、読み物として、やっている。いつまで続くかはお楽しみで。

 

2020年は、ポップステップジャンプで言うと、「ステップ」になる。

 

2021年に飛べるように、その為の2020年にしたい。

 

他人(ひと)は変えられない

最近ぼんやり思ってる事が表題で。

 

少し前に一世を風靡した受験漫画の一節にて、

 

「人の気持ちを変えようとするなんて、地球を指で押すようなもんだ。表面上のどうでも良いことは他人から影響を受けても、大切な部分は自分の考え方に似てる部分を選んでるだけ」

 

という言葉が腑に落ちて。

 

人を変えてやろう、なんておこがましくて。

 

変わるか変わらないかは本人で、その手前位までせいぜい周りにいる人の出来ることで。

 

馬を水飲み場に連れてくまでが仕事。

 

飲むか飲まないかは馬の判断などとはよく言ったもので。

 

首根っこ掴んで無理やり飲まそうとするのはナンセンスで(その場は飲んだとしても)。

 

そんな事を考える最近。

 

確実にこの2週間のオフの後、自分のアプローチは変わる。とても楽しみ。

 

リスタート

1週間の休暇を貰い、欧州蹴球旅に出かけるはずだったが、流行りの病の影響を鑑み、キャンセル。

 

学校の修学旅行や部活動遠征は中止、学校も休校となっている中で中々気持ちの踏ん切りがつかず。

 

もしもの事を考え、国内に留まる決断をした。

無念。いつかまた必ず。

 

結局、1週間奈良に帰る。

 

関西のJクラブや、JFLのクラブの練習を見学。

 

チャンピオンズリーグのノックアウトステージを全試合観る。

 

本当なら生で観るはずだったゲームは、至高の一戦で。

 

さて、色々な流行りすたりはあるけれど、そんな中で、良いゲーム、良い練習、良い指導って何?を考える。

 

色々な練習を見ていて、感じる事はあるけれど漠然と感じる「良い」を定義する事の大切さ。

 

定義なしの良し悪しの議論に意味はなくて。

 

自分の考える「良い」は、

まずチームとして明確なスタイル・哲学があり、

それを表現する為の言葉があり、練習がある。

 

試合を見て、「こういう練習してそうだな」とか

練習を見て、「こんな試合をしそうだな」と想像できるチーム・指導者は「良い」と思う。

 

また自分に還元するとしたら、まずは明確にこういう試合を見せたい!その為にこんなプレーをして欲しい!こういう選手をピッチに送り出す!

という部分を明確にしていく事。

 

そしてそれらをチームに関わる全ての人が共有していく事が必要だと考えている。

 

必要なプレーが明確であればあるほど、練習へのモチベーションは上がり、変に他人と比較する事も減ると思う。

 

誰が見ても、あっこのチームでこの役割を果たす為にこの選手を使うんだね。と感じれるようなチームを作っていきたいし、その為にもっと練習に工夫を凝らしたい。

 

そうやって考えるとまだまだ出来る事しかないなと。

 

ここから楽しみ。

立ち返るところ

最近よく考えるのは、自分の使命ってなんだろうという事。

 

自分のできること。その中で誰かの為になることってなんなんだろうか。

 

という事。

 

何かのせいにするのは簡単で。

 

環境を変えるのは簡単で。

 

自分を変えるのは難しい。

 

石川に来てからはや一年。

 

長期的な目線を持ちながら、そこに向けた歩みを進めていきたい。